映画監督・山田火砂子さんが誤嚥性肺炎で死去
社会派映画で知られる映画監督の山田火砂子(やまだ・ひさこ)さんが、2025年1月13日に誤嚥性肺炎のため東京都新宿区の病院で亡くなりました。享年92歳でした。
山田火砂子さんの経歴
- 生年月日: 1932年1月23日、東京都新宿区生まれ。
- 初期のキャリア:
- ウエスタン・ローズ: 女性だけのカントリー&ウエスタン・バンド「ウエスタン・ローズ」のメンバーとして活動し、音楽界でのキャリアをスタート。
- 舞台女優: 舞台女優としても活躍し、演技の経験を積む。
- 映画業界への進出:
- デビュー: 1974年に映画プロデューサーとしてデビューし、最初の作品は「太陽の詩」でした。亡夫である映画監督・山田典吾の作品に参加したことがきっかけ。
- 代表作: 「はだしのゲン」(1976年)や「石井のおとうさんありがとう」(2004年)、さらに「筆子・その愛−天使のピアノ−」(2006年)など、数多くの映画を手がけました。
- 社会派映画への取り組み:
- 福祉をテーマにした作品: 知的障害を持つ自身の長女を題材にしたアニメ「エンジェルがとんだ日」(1996年)を皮切りに、福祉や教育をテーマにした作品を数多く制作。
- 独自の制作スタイル: 企業の出資を受けず、銀行から製作費を借りて映画を制作し、上映会の収益で返済するという独自のスタイルを貫いてきました。
- 受賞歴と影響:
- 受賞歴: 日本児童福祉文化賞や日本映画テレビプロデューサー協会功労賞など、数々の賞を受賞。
- 教育活動: 映画制作だけでなく、福祉や教育に関する講演活動も行い、社会に対する意識を高める努力を続けていました。
最後の活動
2024年には監督第10作目「わたしのかあさん ―天使の詩―」を完成させ、各地での巡回上映を行っていました。また、2025年2月から3月にかけて国立映画アーカイブで特集上映が予定されています。
お別れの会
通夜および葬儀は近親者を中心に執り行われ、3月25日にはお別れの会が予定されています。
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ホッソー
山田火砂子さんは、映画界における女性の地位向上や障がい者福祉の重要性を広めることに寄与した偉大な映画監督でした。彼女の作品は、社会問題に対する意識を高め、多くの人々に影響を与え続けることでしょう。彼女の死は映画界にとって大きな損失であり、彼女の功績は今後も語り継がれていくことでしょう。
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