プロレス、グラン浜田さんメキシコで74歳で死去、2018年には脳梗塞も経験。娘もプロレスラー

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グラン浜田さん、メキシコで逝去(享年74)

プロレス界の名選手、グラン浜田(本名・浜田広秋)さんが、2025年2月15日にメキシコで亡くなったことが、翌16日に「みちのくプロレス」の公式X(旧ツイッター)で発表されました。享年74歳でした。

グラン浜田の経歴

  • 生年月日: 1950年11月27日、群馬県前橋市生まれ。
  • デビュー: 1972年、旗揚げ前の新日本プロレスに入門し、同年3月16日に藤波辰巳(現・辰爾)戦でデビュー。
  • リングネームの変更: 本名の浜田広秋から「リトル浜田」に改名し、1975年からメキシコで修行を開始。「グラン浜田」として活動を始めました。

プロレスキャリアの始まり

  • 1972年: 新日本プロレスに入門。友人の関川哲夫と共に入門し、柔道の実績を評価されてプロレスの道に進む。
  • デビュー戦: 同年3月16日、藤波辰巳との試合でデビュー。リングネームは本名の浜田広秋から「リトル浜田」に変更され、前座戦線で活躍する。

メキシコでの修行と成功

  • 1975年: メキシコに渡り、リングネームを「グラン浜田」に変更。メキシコではLLIを中心に活動し、1976年には最優秀外国人に選ばれる。
  • 1979年: メキシコでの修行を終え、凱旋帰国。以降も日本とメキシコを往復しながら活動を続ける。

主な活動と団体移籍

  • 1980年代初頭: 新日本プロレスで初代タイガーマスクとの名勝負を繰り広げる。
  • 1984年: 第1次UWFに参加し、その後全日本プロレスに移籍。
  • 1986年: ジャパン女子プロレスのコーチに就任し、一時現役を引退。
  • 1988年: 大仁田厚との遺恨が発生し、現役復帰。
  • 1990年: ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。
  • 1995年: みちのくプロレスに入団。

晩年と家族

浜田さんは、2018年に脳梗塞を患い、その後も健康に関する問題が続いていました。娘の浜田文子さんが昨年11月に、父の健康状態が危険な状態であることを公表し、手術を受けたことを報告していました。2025年1月31日に退院した後、家族と共に過ごしていたものの、最終的には容体が悪化し、メキシコの病院で亡くなりました。

グラン浜田さんの家族構成については、彼には4人の子供がいるとされています。娘の浜田文子さんは女子プロレスラーとして活躍し、父の病気の際には献血の呼びかけを行うなど、積極的にサポートしていました。また、長女のソチ浜田も元プロレスラーであり、プロレス一家として知られています。浜田さんは2度の結婚を経験しており、最初の妻はメキシコ人、再婚した妻は日本人とされています。

追悼の言葉

「みちのくプロレス」は、グラン浜田さんの死を悼み、「ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしました。

ホッソー
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彼の影響は、現在の日本のプロレス界にも色濃く残っており、後輩レスラーたちに多大な影響を与え続けています。グラン浜田さんの功績は、今後も語り継がれていくことでしょう。

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