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法政大学名誉教授の袖井林二郎氏が老衰により92歳で死去

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袖井林二郎さん死去 – 占領期研究の第一人者

占領期研究の権威であり、法政大学名誉教授の袖井林二郎(そでい・りんじろう)さんが、2025年2月10日に老衰により92歳で死去しました。葬儀は近親者のみで行われ、喪主は社会学者でお茶の水女子大学名誉教授の妻、孝子(たかこ)さんです。

専門分野と業績

袖井さんは、米国政治や戦後日米関係史を専門とし、特に占領期の研究において第一人者として知られています。彼は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で政治学を学び、その後、多くの著書を執筆しました。代表作には以下のものがあります:

  • 「マッカーサーの二千日」 – 大宅壮一ノンフィクション賞や毎日出版文化賞を受賞した著書。
  • 「私たちは敵だったのか」
  • 「拝啓マッカーサー元帥様」

また、原爆の惨禍を描いた丸木位里・俊の「原爆の図」を米国で展示紹介したことでも知られています。

経歴

袖井林二郎は、1932年3月9日に宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)で生まれました。以下は彼の主な経歴です:

  • 1950年: 宮城県古川高等学校を卒業。
  • 1954年: 早稲田大学政治経済学部を卒業。
  • 1956年: 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程を修了。
  • 1958年: 渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学。
  • 1964年: UCLA大学院で政治学修士を取得。
  • 1970年: 丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』をアメリカで展示紹介。
  • 1975年: 『マッカーサーの二千日』で大宅壮一ノンフィクション賞及び毎日出版文化賞を受賞。
  • 1976年: 法政大学法学部教授に就任。
  • 1992年: UCLA日本研究所の客員研究員(翌1993年まで)。
  • 1999年: 法政大学名誉教授に就任。
  • 2004年: 博士(政治学)を法政大学で取得。

ホッソー
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袖井林二郎さんの死去は、占領期研究の分野において大きな損失です。彼の業績は、今後も多くの研究者や学生に影響を与え続けることでしょう。彼の研究は、戦後日本とアメリカの関係を理解する上で欠かせないものであり、今後もその影響は広がり続けると考えられます。

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