プロレスラー西村修さん、53歳で死去 – 食道がんとの闘病
プロレスラーであり文京区議会議員の西村修さんが、2025年2月28日午前に東京都内の病院で亡くなりました。享年53歳でした。西村さんは、昨年春に食道がん(扁平上皮がん)ステージ4と診断され、闘病生活を送っていました。
西村修さんの経歴
- 生年月日: 1971年9月23日
- 出身地: 東京都文京区
- 身長: 186cm
- 体重: 105kg
- 血液型: A型
プロレスキャリア
- 高校時代: 錦城学園高校在学中に新日本プロレス学校に入門。
- デビュー: 1991年4月21日、沖縄県糸満市で飯塚孝之と対戦しデビュー。初戦は敗北したが、同年7月に初勝利を挙げる。
- 海外修行: 1993年にヤングライオン杯で準優勝後、アメリカに渡り、フロリダでトレーニングを受ける。
- 無我ワールドプロレスリング: 1998年に新日本プロレスを退団し、藤波辰爾の「無我ワールドプロレスリング」に参加。
- 全日本プロレス: 1999年に全日本プロレスに移籍し、フリーとして活動を続ける。
- タッグ王座獲得: 2001年にIWGPタッグ王座を獲得し、名実ともにトップレスラーとしての地位を確立。
政治活動
- 文京区議会議員: 2011年に文京区議会議員に初当選し、以降4期目を務めていました。彼の政治活動のモットーは「義理と筋」であり、学校給食の和食化などを掲げていました。
闘病の経緯
- がんの診断: 2024年4月に食道がんステージ4と診断され、抗がん剤治療を受けながら入退院を繰り返していました。
- 手術: 2024年10月には脳に転移したがんを取り除くため、7時間半の開頭手術を受けました。
- リング復帰: 2024年12月にはリングに復帰し、プロレスラーとしての活動を続けていました。
最後の言葉と急変
西村さんは、2025年1月30日に入院し、体調が急変する前の2月16日にはSNSで「生きてるのか死んでるか、わからないくらい苦しかったこの一週間。しっかり生きています」とつづっていました。退院を強く望んでいた矢先のことでしたが、残念ながら帰らぬ人となりました。
同僚たちの追悼
西村さんの死を受けて、プロレス界からは多くの追悼の声が寄せられています。武藤敬司さんや中邑真輔さんなど、彼と共にリングで戦った仲間たちがその早すぎる死を悼んでいます。

ホッソー
プロレスラー西村修さんは、53歳で食道がん(扁平上皮がん)ステージ4との闘病の末、2025年2月28日に亡くなりました。彼はプロレスラーとしてのキャリアを築きながら、文京区議会議員としても地域社会に貢献していました。闘病中もリングに立ち続け、「最後の最後まで悔いなく生きる」との決意を示していましたが、体調が急変し、帰らぬ人となりました。西村さんの経歴は、プロレスデビューから政治活動に至るまで多岐にわたり、特にプロレス界では多くのファンに愛されていました。彼の死は、プロレス界に大きな衝撃を与え、多くの同僚やファンから追悼の声が寄せられています。彼の闘病生活は、多くの人々に勇気を与え、最後まで戦い続けた姿勢は多くの人に感動を与えました。
コメント