元相方はあの芸人!?鬼龍院翔の意外な過去と成功の秘訣

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鬼龍院翔:お笑いから音楽へ、異色のキャリアを歩む男

幼少期とお笑いへの情熱

鬼龍院翔さんは、1984年6月20日に東京都台東区浅草で生まれました。幼少期からお笑いに強い興味を持ち、テレビで漫才やコントを見ては笑いのセンスを磨いていました。高校卒業後、彼は吉本興業の養成所「東京NSC」に第9期生として入学し、本格的にお笑いの道を目指しました。

NSC時代の苦悩と転機

NSC時代、鬼龍院さんは「しずる」のKAZMAさんと「チョコサラミ」というコンビを組んで活動していました。しかし、コンビはすぐに解散し、鬼龍院さんはお笑いの道に疑問を抱くようになります。彼は後に、「僕が作ったネタを、今だからこそ言ってくれるけど“おもしろいけど認めたくないから却下してた”って」と振り返り、この経験が芸人の道を諦める一因となったことを明かしています。

音楽への転身とゴールデンボンバーの結成

お笑いの道を諦めた鬼龍院さんは、音楽の道に進むことを決意します。2004年、喜矢武豊さんと共にゴールデンボンバーを結成し、バンド活動を開始しました。2009年には樽美酒研二さんが加入し、同年11月にリリースしたシングル「女々しくて」が大ヒット。ゴールデンボンバーは一躍有名になり、鬼龍院さんの音楽キャリアは大きく飛躍しました。

お笑い経験がエアバンドの発想に

鬼龍院さんのNSC時代の経験は、後の音楽活動にも影響を与えました。特に、エアバンドというユニークなスタイルは、お笑いのセンスとエンターテインメント性を融合させた結果と言えるでしょう。お笑いの経験が、彼のパフォーマンスに独自の色を加え、観客を楽しませる要素となっています。

多才な活動と受賞歴

鬼龍院さんはバンド活動だけでなく、作詞・作曲や楽曲提供も行っています。2012年には特撮ドラマ『仮面ライダーウィザード』の主題歌「Life is SHOW TIME」をソロ名義でリリースし、2014年には『第56回日本レコード大賞』で作曲賞を受賞しました。また、2015年にはT-BOLANの森友嵐士さんと共に「morioni」名義で「サヨナラは歩き出す」をリリースするなど、多岐にわたる活動を展開しています。

私生活と家族

鬼龍院さんは2021年9月4日に一般女性と結婚し、2024年8月19日には子供が誕生したことを報告しています。彼は家族との時間を大切にしながら、音楽活動を続けています。

ホッソー
ホッソー

鬼龍院翔さんのキャリアは、お笑いから音楽への転身という異色の道を歩んできました。NSC時代の苦悩や転機を経て、現在の成功を収めた彼のストーリーは、多くの人に勇気と希望を与えています。これからも彼の多才な活動に注目し続けたいですね。

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