建築家 原広司さんの死去について
原広司さんのプロフィール
原広司(はら・ひろし)さんは、88歳で2025年1月3日に死去しました。彼は東京大学の名誉教授であり、日本の建築界において非常に重要な存在でした。彼の作品は、都市の象徴となる巨大な建築物が多く、特に以下のような代表作があります。
- 梅田スカイビル(大阪)
- JR京都駅ビル
- 札幌ドーム
葬儀とお別れの会
原さんの葬儀は近親者のみで行われ、喪主は妻の若菜さんです。後日、お別れの会が開かれる予定です。
原広司さんの経歴
原広司さんは、1936年9月9日に神奈川県川崎市で生まれました。彼の建築家としてのキャリアは、以下のような重要なステップを経て築かれました。
学歴
- 1955年: 長野県飯田高等学校卒業
- 1959年: 東京大学工学部建築学科卒業
- 1964年: 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻博士課程修了(工学博士)
職歴
- 1964年: 東洋大学工学部建築学科助教授
- 1969年: 東京大学生産技術研究所助教授
- 1982年: 東京大学生産技術研究所教授
- 1997年: 東京大学を定年退官し、名誉教授の称号を得る
建築活動
- 1961年: RAS設計同人設立
- 1970年: アトリエ・ファイ建築研究所との協働を開始
- 1999年: 原広司+アトリエ・ファイ建築研究所に改称
代表作
原さんは、以下のような著名な建築物を手がけました。
- 梅田スカイビル(1993年、大阪)
- JR京都駅ビル(1997年、京都)
- 札幌ドーム(2002年、札幌)
受賞歴
原さんは、数々の賞を受賞しています。
- 1986年: 日本建築学会賞作品賞(田崎美術館)
- 2013年: 日本建築学会賞大賞
- 1988年: 村野藤吾賞(ヤマトインターナショナル)
教育者としての影響
原さんは、東京大学大学院の原研究室から多くの著名な建築家を輩出しました。彼の教育スタイルは、学生たちに独自の思考を促し、建築界に新たな視点を提供しました。
ホッソー
原広司さんの死去は、日本の建築界にとって大きな損失です。彼の業績は、今後も多くの人々に影響を与え続けることでしょう。
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