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作家の李恢成さんが肺炎のため89歳で死去、外国籍で初の芥川賞受賞作家

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李恢成(り・かいせい)さんの死去について

在日文学を代表する作家の一人、李恢成(り・かいせい)さんが2025年1月5日に肺炎のため東京都内の病院で死去しました。享年89歳でした。

李恢成さんの生涯

  • 出生地: 李恢成さんは旧樺太(現在のロシア・サハリン)真岡町で生まれました。
  • 幼少期と教育: 1945年の敗戦後、家族と共に樺太から脱出し、日本に引き揚げました。最初は長崎県大村市の収容所に移動し、その後札幌市に定住しました。この時、樺太に姉を残したことが彼の作品におけるトラウマとして影響を与えました。北海道札幌西高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部露文科に進学しました。大学時代は留学生運動に参加し、卒業後は朝鮮語による創作を目指しましたが、最終的には日本語での執筆を選びました。

主な業績

  • 在日朝鮮人2世としての背景: 李恢成さんは在日朝鮮人2世として生まれ、外国籍で初めて芥川賞を受賞した作家です。
  • デビュー: 1969年に「またふたたびの道」で群像新人文学賞を受賞し、作家デビューを果たしました。
  • 芥川賞受賞: 1972年には短編「砧をうつ女」で第66回芥川賞を受賞し、外国籍の作家として初めての受賞者となりました。
  • 代表作: 代表作には「見果てぬ夢」(1977-1979年)、および「百年の旅人たち」(1994年)などがあります。特に「見果てぬ夢」は、70年代の韓国を舞台にした作品で、祖国統一に揺れる人々の姿を描いています。

社会活動と政治的立場

  • 在日文学の発展: 1980年代には創作を中断し、在日文学の文芸誌「民涛」を発行し、伝統的な朝鮮文化の再生を試みました。
  • 韓国籍取得: 1998年に金大中政権の発足を機に韓国国籍を取得しました。この経験は、彼の作品や発言において重要なテーマとなりました。

晩年と告別式

晩年には「地上生活者」という大河小説を執筆し、自身の少年時代から作家になるまでの半生を振り返る作品となりました。告別式は家族で行われました。

ホッソー
ホッソー

李恢成さんは、在日朝鮮人2世として生まれ、外国籍で初めて芥川賞を受賞した作家であり、在日文学の確立に大きく貢献しました。彼の作品は、在日朝鮮人のアイデンティティや歴史を深く掘り下げ、多くの読者に影響を与えました。晩年には自らの体験を基にした長編小説に取り組み、彼の文学的遺産は今後も多くの人々に受け継がれていくことでしょう。

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