キュレーター・プロデューサー山峰潤也さん、41歳で逝去
2025年1月9日、著名なキュレーター・プロデューサーである山峰潤也さんが41歳で亡くなったことが報じられました。彼は急病で入院し、懸命な治療を受けていましたが、最終的にその命を落としました。
山峰潤也さんの経歴と業績
生い立ちと学歴
- 生年月日: 1983年
- 出生地: 茨城県
- 多摩美術大学: 造形表現学部映像演劇学科を卒業(2006年)。
- 東京芸術大学: 大学院映像研究科メディアアート領域を修了(2008年)。
職歴
- 2008年 – 2010年: 財団法人画像教育振興協会に勤務。
- 2010年 – 2012年: 東京都写真美術館でキュレーターとして勤務。
- 2012年 – 2014年: 金沢21世紀美術館でキュレーターとして勤務。
- 2014年 – 2020年: 水戸芸術館現代美術センターでキュレーターとして勤務。
- 2020年 – 2025年: 一般財団法人東京アートアクセラレーションの共同代表としてANB Tokyoの企画運営に携わる。
主な業績
- 展覧会:
- 「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」(水戸芸術館)
- 「霧の抵抗 中谷芙二子」(水戸芸術館)
- 「恵比寿映像祭(第4回-7回)」(東京都写真美術館)
- 「The world began without the human race and it will end without it.」(国立台湾美術館)
- 国際的な活動: ポーランド、韓国、スロベニアなどの展覧会にゲストキュレーターとして参加。
監修・教育活動
- 監修:
- 「KAWS TOKYO FIRST」(フジテレビ)
- テレビ朝日のアート番組「アルスくんとテクネちゃん」
- 教育: 学習院女子大学および東京工芸大学で非常勤講師を務める。
その他の活動
- 文化庁のプロジェクト: アートプラットフォーム事業や文化経済戦略推進事業に関与。
- 受賞歴: 2015年度文部科学省学芸員等在外派遣研修員に選出。
逝去に関する発表
株式会社NYAWは、山峰さんの逝去に際して、急病で入院し、懸命な治療を続けていたが2025年1月9日に亡くなったと発表しました。葬儀は関係者のみで行う予定で、供花や弔電については希望者に連絡を呼びかけています。
死因
山峰潤也さんの死因は、昨年末に急病で入院したことによるもので、具体的な病名や詳細は公表されていません。
キュレーターとは?
キュレーターとは、主に博物館や美術館、図書館、公文書館などの文化施設において、資料の収集、研究、展示、保存、管理を行う専門職のことを指します。キュレーターは、学術的な専門知識を持ち、施設の運営や展覧会の企画・管理を担当します。
キュレーターの役割
- 資料の収集と研究: キュレーターは、収集する資料の選定やその研究を行います。
- 展示の企画: 展覧会のテーマを考え、参加アーティストや作品を選定し、展示方法を決定します。
- 教育活動: 展示を通じて社会に対する教育活動を行い、来館者に対して情報を提供します。
- 管理業務: 様々な技能職員や事務職員を統括し、館の運営事業を推進します。
日本と欧米の違い
日本では「学芸員」と呼ばれることが多く、キュレーターはその中でも特に展示企画を担当する役職を指します。一方、欧米ではキュレーターは主に展示企画者としての役割が強調され、専門的な知識や経験が求められます。欧米のキュレーターは、アシスタントキュレーターを経て高い地位に就くことが一般的であり、博士号を持つことが求められる場合もあります。
現代のキュレーター
現代美術の分野では、キュレーターはアーティストと社会との橋渡しをする重要な役割を果たしています。また、インターネット上でも情報を収集・整理し、他のユーザーに提供する行為を「キュレーション」と呼び、これを行う人もキュレーターと呼ばれることがあります。
【山峰潤也が逝去】https://t.co/bdc6wCwuyB
— 美術手帖 ウェブ版 (@bijutsutecho_) January 15, 2025
東京都写真美術館、金沢21世紀美術館、水戸芸術館現代美術センターで勤務したのち、様々な分野で活躍したキュレーター・山峰潤也氏が逝去しました。
山峰潤也さんは、アート界において多大な影響を与えたキュレーターであり、彼の業績は今後も多くの人々に記憶されることでしょう。急病による突然の訃報は、彼を知る多くの人々に衝撃を与えています。彼の情熱と創造性は、アートの世界において永遠に生き続けることでしょう。
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