東京大学名誉教授 山崎敏光氏の訃報
東京大学名誉教授の山崎敏光(やまざき・としみつ)氏が、2025年1月31日に誤えん性肺炎で死去しました。享年90歳でした。
山崎敏光氏の業績
山崎氏は、原子核内部の「中間子」と呼ばれる粒子に関する実験で世界を先導し、以下のような重要な役職を歴任しました。
- 東京大学原子核研究所長
- 仁科記念財団理事長
また、彼の功績は広く認められ、2009年には文化功労者に選ばれ、2010年には瑞宝重光章を受章しています。
中間子とは?
中間子(ちゅうかんし)は、クォークと反クォークが結合して形成される複合粒子の一種です。以下に中間子の主な特徴を示します。
- 構成: 中間子は、色荷を持ったクォークと反色荷を持った反クォークから構成されています。
- バリオン数: 中間子のバリオン数は0です。
- 寿命: 中間子は安定したものがなく、最も寿命の長いものでもナノ秒単位で崩壊します。
- 質量: 最も軽い中間子であるパイ中間子は、約140MeVの質量を持っています。
中間子は、原子核を構成する陽子と中性子を結びつける「核力」を媒介する粒子として重要な役割を果たしています。1935年頃に湯川秀樹によって提唱され、彼のノーベル物理学賞の受賞理由となりました。
山崎敏光氏の経歴
- 生誕: 1934年9月28日、東京市浅草区に生まれる。
- 学歴: 1957年に東京大学理学部物理学科を卒業。
- キャリア:
- 東京大学原子核研究所助手
- カリフォルニア大学およびニールス・ボーア研究所研究員
- 東京大学理学部講師
- 東京大学理学部助教授
- 1972年に東京大学教授に就任
- 1986年に東京大学原子核研究所長に就任
- 退官後の活動: 日本学術振興会監事、仁科記念財団理事長などを歴任し、2022年現在は東京大学名誉教授として活動。
山崎氏は、原子核物理の研究において数多くの卓越した業績を残し、特に中間子物理の実験的研究で知られています。その成果により、多くの賞を受賞しており、特に注目されるのが1972年に受けた松永賞、1975年の仁科記念賞、1987年の恩賜賞・日本学士院賞などです。また、2000年にはフンボルト賞を受賞し、2022年には日本フンボルト協会の名誉会員に選ばれています。さらに、2002年にはトリノ大学から名誉博士の称号を授与されています。
山崎敏光氏の実験
山崎敏光氏は、中間子に関する数多くの重要な実験を行い、原子核物理学の発展に寄与しました。以下は、彼が関与した主な実験のいくつかです。
中間子効果の発見
山崎氏は、原子核磁気モーメントにおける中間子効果を発見しました。1966年には、バークレーで原子核の高スピン準安定励起状態を系統的に見つけ、その磁気モーメントを測定する方法を確立しました。この研究は、陽子の軌道磁気モーメントが異常に大きいことを示すもので、1951年の宮沢弘成の予言を実験的に証明しました。
ミュオンスピン回転緩和法(muSR)
1973年には、ミュオンスピン回転緩和法を用いて、正負ミュオンのスピン磁気モーメントが物質の微視的プローブとして利用できることに着目しました。この方法は、スピングラスや高温超伝導体の研究に応用されました。
反陽子ヘリウムの発見
1991年には、高エネルギー物理学研究所での実験において、液体ヘリウム中にとまった反陽子が消滅しないことを発見しました。この研究は、反物質物理化学の分野において重要な成果となりました。
K中間子原子核の探索
山崎氏は、K中間子と核子間の強い引力を利用して、K中間子原子核の存在を予言しました。特に、K-ppという最も基本的なK中間子核の生成が予言され、実験的にその証拠が得られました。これにより、K中間子が通常の核力よりも強い結合を持つことが示唆されました。
告別式の詳細
告別式は2025年2月8日午前11時に、東京都荒川区町屋の町屋斎場で行われる予定です。喪主は長男の太郎氏です。
山崎氏の死去は、日本の科学界にとって大きな損失であり、多くの人々に惜しまれています。
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山崎敏光氏は、原子核物理学の分野で多大な貢献を果たした著名な科学者であり、特に中間子に関する研究で知られています。彼の業績は、物理学の発展に寄与し、多くの後進の研究者に影響を与えました。彼の死去は、科学界にとって大きな損失であり、彼の功績は永遠に記憶されることでしょう。
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